「もう僕、大丈夫。」その一言が、私の心に残った。
泣いたあとに笑える強さを、私はいつから忘れてしまったのだろう。
その日、公園へ向かう道で、私の隣で歩いていた息子が転んだ。
私は、息子が転ぶ瞬間に手をのばしたが間に合わなかった
息子は、石につまずいてしまったのだ。
持っていた虫かごと虫取り網も地面に落ちてしまった
息子はその場にしゃがみ込んで、大きな声で泣き始めた。
擦りむいた膝からは少し血がでている。
「痛かったね。」
そう私が声をかけると、息子は涙をぽろぽろこぼしながら何度もうなずきながら言う。
「痛いよ。痛いー。」
私はベビを抱っこしていたが、その場にしゃがみ、手でサッサッと少しだけ膝についていた土を払う。
そのあと、息子を抱っこして近くのベンチへ一緒に座った。
私は何も言わなかった。
息子に「大丈夫だよ。早く公園へ行こう。」とも言わなかった。
抱っこしたまま、ベンチへ座る。
息子は私の服で涙を拭き、鼻をすすり、また泣く。
私は頭をなでる。
それだけだった。
数分後。
涙が出なくなり、鼻水を腕で豪快に拭いた息子。
まだ痛いかな?もう、公園に行く気がなくなっちゃったかな?
と、私は思った。
けれど、その直後、急に息子が立ち上がって一声!
「もう僕、大丈夫!」
そう言って元気を取り戻しすぐに走り出した。
さっきまでの涙が嘘みたいな元気になって。
最初よりも元気になったのではないかなと思うくらい。
落ちていた虫かごと虫取り網を拾って、何事もなかったように走りだした。
息子の背中を見ながら歩きだした私は、少し笑ってしまった。
そして思った。
子どもってすごいと思う。
自分が悲しいと感じたら、ちゃんと悲しむ。
転んでけがをしたら、痛いと言ってちゃんと泣く。
そして‥‥終わったらちゃんと自分で立ち上がる。
大人になって、ママとなって気づいたことがる。
いや、気づいてはいたけれどもそれが「普通の大人の立ち振る舞い」と思っていた。
なんだか悲しいと感じる。
けれど周りに、心配をかけないように笑う。
やりきれなくて悔しいと思う日もある。
でも、私は大丈夫だからと自分に言い聞かせ、平気なふりをする。
私だって怒ることもあるし、イライラを感じる。
でも「そんなことないよ。」と答える。
自分の感情を感じる前に、片づけようとしてしまう。
「なかったこと」として片づけてしまう。
本当はそこに「あった」のに。
けれど、沸いてでてきた感情は終わらない。
私のどこかにしまい込まれたまま、心のどこかに残り続けている。
そしてそれは、私の中で見えない傷となって残る。
血はでない。
けれども確かに私の心に傷はついている。
かさぶたがとれた後のように、きれいに戻ることはない。
傷跡として私の心に刻まれている。
あの日の息子を見ていて思った。
泣くことは、弱さじゃない。
怒ることも、悲しむことも、焦ることも。
息子は決して、「こんな気持ちを持ってはいけない」と
自分の気持ちを追い返さない。
「今、ぼくはそう感じているんだ」と自分に迎え入れている。
もしかしたら、そのほうが感情は案外静かに通り過ぎていくのかもしれない。
「私は、泣いている息子を見ながら、なぜ声をかけなかったんだろう。」
前までの私はきっと『大丈夫、大丈夫』って急がせていた。
息子がかわいそうと思って、痛みを少しでも取り除いてあげようと必死だった。
痛くないよ。大丈夫だよ。
でも、この日の私は違った。
なぜ違ったんだろう。
きっと、息子の強さを見たかったんじゃなかったと思う。
私は彼から教わりたかったのかもしれない。
息子は、泣き方を知っている。
そして、泣き終わることも知っている。
忘れていたのは、きっと私のほうだった。
私だけが、その場に立ち尽くしたままだった。
泣いてしまった自分を置いていかない。
泣いた自分も一緒に連れていく。
できた傷跡も、それも自分の一部だと、寄り添って生きていく。
そんな生き方もあるのだと、あの日、小さな背中に教えられた。



しょこりん、めちゃくちゃわかりみです!
自分はそこにある感情をみなかったことにしたり、ふたをしたり。
それが積もり積もって結局どこかで出てくるのに。
子供は余計なフィルターもなく、自分の気持ちの思うままにいられる。
そうすることで、自分で解消してまた立ち上がる。
そんなふとした日常を、こうして丁寧に拾い上げるしょこりんが素敵だなと、すごくいいなぁって思います🥹
お母さんが慌てるでもなく、なだめるでもなく、ただ隣で落ち着いて見守ってくれてたから、息子さんも安心して自分の感情を感じきることができたんじゃないかな、と思いました☺️✨ふたりとも素敵だなぁと思いました🍀✨